5年も同じ場所で仕事をしていると、地元の人とも顔見知りになる。医師・患者の関係だけでなく、よく出入りする居酒屋の店主だったり、同じカウンターに座る客同士だったり。海でよく出会う波友だったり。
仕事だけやってるとなかなか見えないかもしれない。単身赴任だから、家族の行事(運動会や卒業式や習い事etc)はよくわからないけど、自分自身のコミュニティーはここにも出来てきた。ある意味、素の自分を受け入れてくれているコミュニティーもあるかもしれない。
昔から、「あなたは、人を信じやすいから、騙されないように。」
と言われがち。あまり人を疑ったことがない。どんな人にも、いいところがあると思っている節がある。ま、騙されても、生きていればなんとかなる。そう、生きていれば。
駅でたまたま、患者さんとあったり、職場の人とあったりしても、「あら!先生! 普段着だと、全然雰囲気が違うねー!」と気軽に話しかけてもらえるのは、とても光栄だ。話しかけにくい人ではないということだろうし。
最近、自分のこの人なつっこい性格や、意外と頑固なところ、一つこれ!って決めたら、コツコツ続けるところとか、父親に似ているような気がする。
父ほど家でテレビは見ないし、見ているときに人の声が聞こえなくなるぐらいに集中する集中力もないが、どんな人ともフランクに対等に話す性格は同じかもしれない。昔、聞いたことがあるのは、上司の家に呼ばれて、食事をしていたとき、お酒も気持ち良く飲んでいたみたいでトイレで寝てしまったとか。仕事のときには、職位とか関係なく、意見をズバッと言っていたりしていたとか。
父のようになりたいということではなく、別の理由で同じ職業に進んだ。大学に進んでも、父の昔を知っている先生や教授が沢山いた。自分が働きたいと思っていた病院にも父を知る諸先輩方がいた。今、遠く離れた場所で働いていても、この狭い世界、父を知る人とお目にかかることがある。でも、そのことで嫌な思いをしたことはない。それは、父がその人たちといい関係を作っていたからだろう。そして、あくまでも話すきっかけは、父であっても、そこから先は、私自身と関係を持ってくださってるのだろう。彼らから見たら、当時の父と重なるところもあるのかな?とか、興味深く思うこともあるが、ま、あまり深くは聞かない。
息子から見ても、父はいろいろ面白い人だ。変わっている。いつか、父が亡くなったら、どこかにまとめてみたいと思う。少しだけ書き示すと、
高知県の山奥、とても貧しい家で育った父は、お金がなくて当時幼稚園に行けなかった。なので、毎日暇をしていたらしく、中学校にいき、窓から姉の授業を覗いていたらしい。幼稚園児だから、みんなが可愛がってくれて、教室にちょこんと座って、数学の授業を聞いていた。
「−5」とか「9−17=−8」とか、マイナスの概念をそのときに理解していたらしい。
医学部を受験するとなって、現役のときは、岡山大学に落ちた。(当時、四国には橋が架かっていなくて、一番スゴい大学は?というと岡山大学という認識)
一年間浪人をして、いよいよというときに祈祷師さんが「東の方角がよい!」といったようで、国立か私立かもよくわからず京都大学を受験することにしたらしい。(さすがに、浪人生の時には知っていたのかもしれない)
それで受かってしまうところも変だ。大学に入ってからのいろいろもまー面白い。牛のステーキを食べたことがなかった父は、同級生のご実家に誘われて、牛ステーキを始めて食べたときに
「おいしいトンテキですね!!」
といったらしい。それを聞いた、親御さんが「とても面白い子だねー」っていってたらしい。
今でも本当かな?と思うことばかり。
何より、家にテレビがなかったので、下宿先でテレビばかり見れる環境になって幸せだったらしい。
息子が同じ職業になって実際どう思ってるかはわからない。あまり直接聞いたことはない。ま、好きなことやればいいんじゃない?といつも言っていたし、「将来、医師は仕事がなくなるぞ!ほんと大変だから、好きじゃないと出来ないぞ。」とずっと言っていた。なので、どう思ってるかはわからない。
でも、そんな変な父だからか、困った症例の話を共有するときはいつになくちゃんと聞いてくれる。親子で一番話が盛り上がるのは、こんな話のとき。医療系家族にありがちなのかもしれないが、親子の話が一番弾む。
いろんな家族があるだろうし、それでもいいと思う。将来自分が子供たちとどんな話で盛り上がるんだろうと想像する・・・