自分たちが日々直面しているケースが多数あることと、ニュースでよく目にすることと、遠藤周作の小説などで考える人生観「人の幸せとは何か?」ってことがいろいろ重なって、自分自身の考えをまとめておこうと思います。(あくまでも今の時点での考えであって、自分自身も考えに揺らぎがあると思いますので、ご了承下さい)
そして、医師という「人を救う」という立場、さらには救急専門医という「救命を第一に考える専門家」という立場でここに自分の意見をあえて残します。
人は必ずいつか、死にます。
どんなタイミングでそのときが来るかわかりません。老衰で迎えることもあれば、ある病気を患って、向き合いながら迎えることもある。一方で、ある日突然迎えることもあれば、まだ幼い子供に、外傷や病気でその時を迎えることもある。今まで、たくさんの方の最期を見てきたものとして、色々考えることがあります。
救急という特殊性もあり、まだ、人生を楽しむのはこれからだろう!と誰もが思う死にも直面します。
子供や妊婦、その他、交通外傷や海の事故等の突然やってくる死
全力で助けたいと出来ることを全力で行って、助けられたときの感動は何にも変えられません。一方、助けられなかったときの悲しみは毎回、心に深く刻まれます。何かもっと出来なかったか。自分の努力不足はないか。次に同じことを繰り返さないために何が改善できるか。
これは、高齢者とかも関係ありません。
病院に運ばれるまで元気に買い物して、畑して、仲間と笑って過ごしていた方。
突然やってきた重傷に対して諦めはありません。
一方で内科疾患の急変といわれる、大動脈解離・心筋梗塞・脳出血・くも膜下出血などは、血管リスクというものがあり、どれだけ健康に気を付けていてもある一定の年齢になったら必ず血管は傷がつく。昨日まで元気だったのに・・・といわれても、それは、外見から見えないだけで全身の血管は、年相応だと考えます。
日本の国民皆保険制度ができたのは、日本人がまだ、結核や感染症で亡くなることが多かった時代。生活環境や抗生剤治療などで改善できることが多かった。その次に、周産期死亡や交通外傷など。これらのために日本の救命救急の治療が進んだ。その後にいわゆる「癌」での死亡をいかに防ぐか、治療するか。このあたりから医療費が国民皆保険制度に無理がかかってきた。そして、ある程度の癌を治療や予防出来るようになると、血管の病気である心筋梗塞や脳梗塞の治療にシフトしてきた。今は、それもある程度落ち着いてきたのか、肺の難治といわれていたような疾患への治療法を模索している。
その一方で、生活の質を維持・向上するための医療も進んでいて、膝・股関節・骨粗鬆症といったヒトとして動くための機能維持、視力や聴力といったQOLをあげる治療も進んでいる。美容形成だって、その人が人生を楽しむという観点で物事を考えれば、とても有用性は高いと思う。
アンチエイジングといって様々な取り組みがあるが、「歳をとる」ということは変えられない。「長く生きることが幸せか?」ということについては、以前にも挙げたが、自分の考えは「No」です。
「いかに、人生を楽しんだか。受け身ではなく、積極的に過ごしたか。」
「その刹那刹那を一生懸命に生きたか」
が重要だと思っています。
医師という立場で、たくさんの方の最期をみているからこそ言えると思っています。いつ自分が死ぬかわからないです。若いからとか関係ないです。
いわんや自分の親なども順番で言うと自分より先になくなる可能性は高いです。
家族内で今までの生活が送れなくなったときにどうするか?や、寝たきりになったときにどうしたいか?とか、しっかり話をしておくべきだと思います。そんな話、ひどい!とかむごい!とか,言いにくい!とか言っている方がたくさんおられますが、何も話をせず、家族も本人もどうしたらいいかわからず、点滴や鼻からの栄養が入っている状態が続くのが幸せなのか私にはわかりません。
一方で、マスな視点でそのような方の入院ベッドがたくさんになると、そのお子さん世代の入院が必要なヒトへの医療の提供がしずらくなります。ベッドがない。人的資源がないといった理由で。
これをいうと、他人のことは知らない
という方がおられますが、では自分の身内に医療介入が必要になったときに、病院が受け入れできずにお断りしたらどうですか?というと、「それはそのとき」って話される。そのときになって考えるって。
結局そのとき考えるといっても、自分に都合がよくないと、なんとかしてくれとなる。
医療者を増やすべきだ。行政がもう少し介入すべきだと。
本当にそこだけの問題でしょうか。
日本という平和な環境にいて、日常生活を送っている中でヒトの「死」に遠い生活をしているのでイメージが出来ないから、考える機会がないのではないでしょうか。
ヒトは必ず死にます。
それは避けられません。必ずやってくるものです。そして、突然来ることもあります。だからといって、悲観することもありません。そのときまでをどのように過ごしたいかを毎日考えることが幸せだと思いますし、毎日の小さな幸せを積み重ねていくことが、人生という大きな入れ物をで考えたときに幸せな人生だったと思えるのではないでしょうか。
自分や身内の人生感や最期の過ごし方について、しっかり向き合って、日常の会話の一つとして話をしてみませんか。