今の、自分があるのはいろいろなロールモデルとなる医師(恩師)との出会いがあってのこと。

2024年年始。医学部4年生の時に、どんな医師になろうか?と悩みながら、病院見学を始めた時のことを思い出しました。

 当時、大学ではまだ、病院実習が始まってなくて、授業でいろいろな科の医師から講義を聴くのみでした。当時から、「地元で役に立つ医師になりたい」という気持ちはありましたが、それが何科に進むとそうなれるのだろうか?と悩んでいました。外科医なのか?家庭医なのか?内科医なのか?小児科医なのか?

 ちょうど、マッチング制度も始まってまだすぐのとき。初期臨床研修病院はもともとスーパーローテーションをしている病院にしよう。そのほうが、スタッフも研修医への対応に慣れているだろうと思って、インターネットで調べていました。そして、夏に人生で初めての病院見学に向かいました。関東に行ったのは、おそらくそのときが人生で3回目ぐらいだったでしょうか。電車の乗り継ぎも不安で・・・

 病院見学では、まだ、医師として働いて4ヶ月ほどの1年目の医師がテキパキと働いていてとても刺激的でした。こんなことまで出来るのか?!と。しかも、一人だけでなく何人もの研修医がそんな風にキラキラ働いていました。病院内の見学をしているうちに、ERブースに来ました。

 救急のスタッフが、主訴が頭痛の患者さんを診察するところでした。

「こんな時間に辛かったのですね。」「突然発症の痛みではなかったですか?」

walk-in外来なので、そんなに緊急性はない状況だったかもしれません。でも、やさしく、ゆっくりと声かけをしながら、必ず除外しないといけない頭痛の鑑別をしながら、検査が必要かどうか判断しておられました。そして、患者さんも安心して帰っていく様子を見届けました。その後も小児・外傷など数人の患者さんの対応を見ながら、

「うん。こういう医師になりたかったんだ」

そう思ったのです。「地元で役に立つ医師になりたい」という思いの中に「まずは何でも診る医師」になりたかった気持ちがあったのだと思います。帰宅可能なのか、高次医療機関への搬送が必要な状態なのか。その場合に初期対応と治療ができる。このスキルが必要と思っていたんだと思います。

「あと3年後、先生はこの病院におられますか。」「先生の下で学びたいです。」

 そのとき、その先生は、「うーん。多分いると思うよ。まだいろいろやりたいこともあるからね。」

と答えて下さりました。その後も、いくつかの病院見学をして、結局、最初に見た病院へ、マッチング第一希望でだしました。無事に思いは届き、充実した研修を送り、今の自分があります。

 あれから20年。

おそらく、当時の先生と同じぐらいの歳であり、医師としての経験年数も同じぐらいになったと思います。

今の私は、若い人達にとって、あの時の私が感じたようなロールモデルになれているのだろうか。そして、

for the patient

というマインドを持った医療者を増やすことが出来ているのだろうか。

今、学生の子たちが医師となって活躍するぐらいの時には、僕も今の恩師と同じぐらいの年齢なのかと思うと、

数少ない出会える医学生、研修医たちに今まで以上に向き合って彼らに何かが残るような時間を共有したい。

2024年は、自分にとってある意味節目の年なのかもしれないと思った年始でした。

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