昔、私が喜界島でお世話になった先生の息子さん
医学部生として、見学に来られました。
「いつか、青木君のところには必ず見学に行かせるねー。」
とおっしゃってて、実現しました。
先生とは3ヶ月しかご一緒してないのですが、とても濃い3ヶ月でした。
初めての離島。8000人という小さいコミュニティでどうやって、医療の質を担保するか。
BLSやACLSを検査技師や薬剤師にも受講してもらい、救急搬送患者のときには、一緒に救命を行うチーム作り。島外への搬送をするためには、奄美大島への搬送または、鹿児島からまたは沖縄から1時間半。往復3時間。
全てが刺激的でした。
外科の手術ができることが「離島」というfieldでは必要であること。
無理はしないこと。
そして、ERという選択が地域でとても役に立つこと。
初期研修2年間の最後が2ヶ月間の地域研修。場所は「函館」
そんなに田舎という印象はなかった。なので、「地域」なのか?と思っていました。
でも、そのときに松前を見学して自分の人生を変える出会いをいただき、いよいよ3年目からはERという気持ちで鎌倉に戻ろうとしたら、「いきなりだけど、4,5,6月は喜界島に行ける?」と。
大丈夫だろうか?と不安だらけでしたが、今思うと、これからER専攻医として何を学ぶべきか?すばらしいfieldを与えてもらったように思います。あのタイミングで良かったです。
島での、虫垂炎の手術、小腸腫瘍の手術、ラパコレ(腹腔鏡下胆嚢摘出術)など患者さんが島から出たくないという希望がある場合に医療の提供ができる選択肢
そして、麻酔をかけることができるということ
ただし、これは、外科としてのトレーニングがとてつもなく必要だと当時感じていた。
それ以外にも、自宅分娩をした定期健診を受けていなかった女性の救急搬送
慢性期整形外来。肩が痛い、膝が痛いetc.
糖尿病がベースにあり脳梗塞になったかた。
いろんな出会い、経験がありました。
そして、当時院長だったその先生は、週末にACLSインストラクターなどでお忙しく島を空けることが多く、週末は、医師3年目になりたての私と2年目になりたての初期研修医で島を守ることが多かった。
このときの経験は、本当に大きいです。急性心不全で挿管管理が必要な比較的若い女性。循環器科的管理やその後弁膜症の手術も必要なのではないか?
ヘリ搬送をお願いしたけど、鹿児島までの搬送に迎えが2時間かかる・・・
待っている間に薬剤投与に対して反応が乏しい。目の前でどんどん呼吸状態が悪くなる
当時の私より少し若いぐらいの血気盛んな息子さんの心配そうな視線。どうしてくれるんだ!というようなプレッシャー。
話ができる状態で、ご本人の意志を確認して緊急挿管。まだ、挿管に自信がなかったけど、私がやらないと助けられない。そんなプレッシャー。そういうときに、ひとつstep-upするのでしょうか。
無事に挿管完了。鎮静もかけて、ヘリを待つ。
ヘリには2年目の研修医を乗せて、搬送。自分は、疲労をドッと感じながら、週末の島を守る。
1ヶ月ほどして、元気になって帰ってこられた患者さんを見たときの安堵といったら…
全てが自分に返ってくる。そして、自分がやらないと助からないかもしれないというプレッシャー。
私の人生を大きく変えました。そして、ER研修で学びたいことはこれだ!というリストも現場で感じることができたことはとても大きかったと思います。その後の4年間の研修がとても実りあるものになりました。
自分の医師最初の10年を振り返り、若い医学生や研修医の先生たちにどこがターニングポイントだったのかを明文化しようと思ったら、やはりearly exposureでした。
私が思いっきり、地域医療の道に進むきっかけとなった出会い。
それから13年の時を経て、少し恩返しできたのかもしれません。
素晴らしい医師になってください!

