この写真が出てきて、涙が止まらず。
この一年で2回お会いできました。1月に伺った時、府立医大の医局で号泣してしまいました。お互いに病気のことがわかるが故に先が長くないことがわかる。6月に滋賀医科大学で授業させてもらうことがわかっていたのでその時にもし会えたらとお伝えして、結局時間が合わなかった。
「青木くんのFacebook、読んでるよ。頑張ってるね」そう言われたので、今年はいつも以上に投稿していました。8月ごろに調子がぐっと悪くなったとお聞きして、少し覚悟していた。
その後、自分の今後のことについてメールをしたら、折り返しの電話をいただいた。ご自身の体調のことなどそっちのけで、「大丈夫か?色々大変だと思うよ。」ととても心配してくださり、「よく考えること。そして、仲間をしっかり作ること。」と念を押して心配してくれました。
10月に入って、仙台の救急医学会。まさかここでお会いできると思っておらず、でも元気に歩いておられる姿を見て、治療が効いたんだ。またお会いできるかも。そう思ってしまいました。それぐらい、いつもと同じようにご自身が気になる発表や演題を見て回っておられました。
先日SCEP総会でお会いできなかったので、覚悟はしていましたが、涙が止まりません。
自分自身が医師として働くと決めた初期臨床研修病院を選択したのも4年生の時に見学で凡先生にお会いしたから、湘南鎌倉総合病院にしました。こんな優しい救急医がいるんだと。テレビドラマのERのような忙しさの中でもどの患者様にも真摯に向き合う姿勢に憧れて。晴れて、採用していただいてからは毎日忙しく、苦しい時もありましたが、ER当直の時はいつも楽しみでした。凡先生と一緒に仕事ができる。そう思って頑張れました。とめどなく救急車がやってくる、旧病院でストレッチャーも置くところがなくなり、廊下にまでストレッチャーを置かざるを得ないような状況でも、「野戦病院なのだから、傷病者を断ってはいけないよね。」「屋根があって、爆弾が来ない。それだけでも幸せじゃないか」そういって、患者さんを診ていく凡先生。ボスがそういうのであれば、やるしかない。止まない雨はないので、今を乗り切ることだけを考えて対応していたことを思い出します。
2年目の秋にGIM・SSA・ERどれも魅力的で進路に悩んでいましたが、最終的には初志貫徹でERを選びました。やっぱり凡先生みたいになりたかったから。「ERを選ぼうと思うのですが、面接とかあるんでしょうか?」とこちらから聞いて、「うん、そうだね。焼き鳥食べながら話そう。」そういって、連れて行ってもらい、将来のビジョンを話したのちは、今の日本の救急医療の問題や大学での教育の話などをひたすら凡先生が話す。一通り終わって、「ということで、来年からもよろしくね。」これが僕の面接でした。
進むべき道に迷った時はいつもご相談させていただきアドバイスをいただいていました。松前病院を選ぶ時には、「ぜひ、行っておいで。とてもいい環境だと思うよ」と背中を押してくれました。その後に滋賀に戻るかどうするかで悩んだ時は、京都府立医大所属で地元の病院というのも選択肢に挙げてくれました。GENEPROを選ぶ時、今の職場を選ぶ時、人生のターニングポイントでいつも相談をしていました。
眠れずに過去にやり取りしたメールや凡先生に関する資料など見返していたら、少し前に木島先生からいただいた80ページにも及ぶ凡先生が2003年に湘南鎌倉に来られた最初の一年をまとめたものが出てきて、読んでいたら、最後のページにこの写真が出てきました。なぜか、2010年の写真(でも僕の記憶が正しければ2009年じゃないかな?しかも夏ぐらいでは?そこも含めて凡先生らしいのですが。)後から付け加えられたのでしょう。あの面談から約1年後のER1年生の自分がいました。
その後凡先生は日本の救急医療を変えるために医育機関でたくさんの学生に伝えないといけないと府立医大へ行かれたので、直接指導を受けたのは初期研修2年+専攻医研修1年。でも、ERを選んでよかったです。いいか悪いか分かりませんが、湘鎌凡ismの最後の学年って誇りを持って言えます。
本当に今までありがとうございました。
謙虚にタフに そして優しく
先生の言葉を次世代に繋げるよう精進していきます。
